空白の一ヶ月〜はじめの一歩〜




錆びついた重い扉の軋んだ音が静寂に響いて、その奥の得体の知れない深い闇が姿を現す。
黴臭い淀んだ空気に顔を顰め、手燭に点した灯りだけを頼りにその中へと足を踏み入れた。
コツコツと二人分の靴音が闇に響く。

「・・・ここの地下にこんなところがあるとは知りませんでした・・・」
「当たり前だ」
「陛下はどうしてこのような場所をご存知なのですか?」
「・・・昔、一度だけ連れて来てもらったことがある」
「どなたに?」
「さぁ・・・誰だったかな・・・」

他愛もない会話を交わしながら目的の場所へと辿りつくとルルーシュは足を止めて、手にしていた灯りを壁に翳した。
懐かしそうな瞳でそれを見つめて、ルルーシュは同行者を振り返る。

「どうだ?使えそうか?」
「・・・なにぶん古い物のようですから、調べてみないとなんともいえませんが・・・」

頼りない手燭の灯りに映し出された目の前の装置に、ロイドは首を捻っている。
一度も使われた形跡のないそれは、長い年月を経て錆に覆い尽くされていた。










事後の気だるい余韻に浸っているルルーシュは、ベッドの上でぼんやりとしながら、服を整え始めたジェレミアの姿を見つめていた。

「なんだ・・・もう行ってしまうのか?」
「あまり長居をしますと変に思われます。ここは人目が多くありすぎますから」

「そうか」とつまらなさそうに言って、ルルーシュは着替えをしているジェレミアに向けて腕を伸ばした。
着替え途中のジェレミアの服の裾をつんつんと引っ張って、注意を自分へと向けさせる。

「なにか?」
「明後日の式典・・・お前は出席してくれるよな?」
「は?」

首を傾げているジェレミアに、「なんだ、スザクから聞いていないのか?」と少し驚いたように、まだ衣服を身に着けていない身体を起こすと、ジェレミアは顔を紅くして俯いた。

「ルルーシュ様、お召し物を・・・そのままではお風邪を召してしまわれます」
「そんなことより・・・明後日のことだ」
「は?」
「スザクにお前に伝えておくように頼んだのだが・・・?」
「・・・なにも聞いてはおりませんが・・・?」

「・・・そうか」とルルーシュは親友の顔を思い浮かべて渋い顔をする。
合流したてでまだいまひとつ状況を把握できていないジェレミアに、今後の予定をいちいち自分の口から説明するのが面倒だったので、スザクに頼んでおいたのだが、忙しいスザクはどうやらそれを忘れていたらしい。

「あ、あの・・・ルルーシュ様?明後日はなにが?」
「ああ、皇帝即位の式典を執り行う予定なんだが、お前はもちろん出席してくれるんだろう?」
「は、はい!もちろん喜んで出席させていただきます」
「それと、その後に・・・」
「その後?」
「祝賀会を開催するのだが・・・それも参加でいいな?」
「祝賀、会・・・ですか?」
「そうだ。俺に協力的な元貴族や富豪を集めて開催することになっている。スザクとセシルは参加してくれるそうだが、ロイドは用事があって出られないそうだ」
「・・・元、貴族・・・ですか・・・」

ジェレミアはなぜか憂鬱な顔をしている。
表立っては協力的であっても、約束されていた身分を剥奪された元貴族達が、ルルーシュを恨んでいないはずがない。
そしてその恨みは、元は同じ貴族でありながらまんまと新しい皇帝に取り入って、新体制の要職に就いたジェレミアにも向けられる。
ジェレミアにしてみればルルーシュが皇帝になる前から傍に仕えていて、取り入ったつもりなどないのだが、それを知らない本国の連中はそう言う目でジェレミアを見ているに違いない。
ジェレミアの憂鬱な表情も頷ける。
それをわかっていて、ルルーシュは「どうした?」とジェレミアに声をかけた。

「そ、その・・・、式典には列席させていただきますが、祝賀会への参加は辞退させていただきたいのですが・・・」
「なぜ?どうしても外せない大事な用事でもあるのか?」
「いえ・・・」
「では、お前は参加だ!いいな?」
「そ、それは・・・皇帝陛下としてのご命令ですか?」
「そうだ」

ルルーシュの声にジェレミアは「承知いたしました」と渋々頷いた。










それから二日後。
ルルーシュの皇帝即位の式典は、懸念された妨害活動や混乱もなく恙なく執り行われた。
その後、場所を離宮の大広間に変えて、祝賀の宴が盛大に模様された。
打ち捨てられて荒れ放題になっていたアリエスの離宮は、皇帝になったルルーシュの命により昔の栄華をとりもどして華やかに飾られている。
ルルーシュの出自を知るものならば、その場所にこめられた想いを理解することができるだろうが、多くの列席者はそれを知らない。
なぜ離宮なのだと首を傾げるものも少なくはなかったはずだ。
しかし、絶対権力者の皇帝に対して、その疑問を問いかけるものはいない。
皆一様に形式に乗っ取った世辞と挨拶の言葉を述べて、玉座に座した新しい皇帝を遠巻きに品定めをしている。
ジェレミアは人目を避けて、隅の壁に寄りかかりながらそれをじっと眺めていた。

「・・・ジェレミア様?」

突然声をかけられて、ジェレミアは遠くにあった視線をその声に向けると、そこには見知った顔の女性の姿があった。
顔は覚えていたが名前までは思い出せない。

―――確かどこぞの伯爵令嬢だったと思ったが・・・?

記憶の糸を辿っていると、ジェレミアの名前を聞きつけて、近くにいた数人の女性たちがその周りを取り囲んだ。
皆元貴族の令嬢達で、面識のある顔ばかりだった。

「行方知れずにおなりになったとお聞きして心配していましたのよ」
「そ、それは・・・どうもご心配をおかけしまして・・・」
「でも、ご無事でなによりですわ。それに今回はご出世をなされたとか・・・」
「新しい皇帝陛下の御側近におなりになられたとお伺いしましたが、このような場所では壁際の華ですわ。ささ、もっと中央へ参りませんこと?」
「い、いえ。私はここで結構です。どうぞ私などに構わずに皆様は宴を楽しんでください」
「そんなことを仰らずに、昔のように私たちのお相手をしてくださいませ」
「い、いえ・・・そ、それは・・・」

囲んだ令嬢達はキャーキャーと歓声を上げながら、嫌がるジェレミアの手を引いて、強引に壁から引き剥がす。
すると更なる人だかりがジェレミアの周りを取り囲んだ。
その全てが女性である。
中には顔を合わせ難い女性も何人かいた。
困り果てているジェレミアを他所に、女性達は今や飛ぶ鳥を落とす勢いのジェレミアに群がって離れようとしない。

「ジェレミア様は皇帝陛下のご信頼が厚いとお伺いしておりますが、私達を陛下にご紹介していただけませんか?」
「・・・は?」
「皇帝陛下はお若くてお美しくて、とても優しいお方だとお聞きしておりますのよ」
「ですから是非お近づきになりたいのですが・・・」
「・・・・・・・・・」

目の前の令嬢達にとって、結局ジェレミアは新しい皇帝陛下と親しくなるためのダシにすぎないのだ。
「若くて美しい」はともかくとして、「優しい」というのはどうだろうとジェレミアは心の中で苦笑する。
ルルーシュの優しさを知らないわけではないのだが、ジェレミアの知るそれは酷く捻くれていて歪んだ形で表されることが多い。
普通の神経の持ち主では到底相手にすることは困難だろう。
しかしルルーシュはそれをあまり表に出さないのだから、別に紹介するくらいなら構わないのではないかと考える。
そして玉座に座るルルーシュをちらりと見た。
一瞬だけジェレミアと視線の合ったルルーシュはつんとそっぽを向いて、つまらなさそうな顔をしている。
その隣では枢木スザクが引き攣った笑みを浮かべていた。

―――・・・だ、ダメだ・・・完全に誤解されている!

それがどう言うことなのか、身をもって理解しているジェレミアは全身から血の気が引いた。
ルルーシュは女性に囲まれたジェレミアが鼻の下を伸ばしているとでも見ているのだろう。
心の許容範囲があまり広くはないルルーシュの機嫌は恐らく急降下中だ。
最早自分を取り囲んでいる令嬢達を相手にしている場合ではない。
一分一秒でも早く誤解を解かなければ、臍を曲げたルルーシュが何を仕出かすか知れたものではない。
群がる人混みを掻き分けるようにして玉座へと足を進めれば、いつからそこにいたのかロイドの姿がルルーシュの隣にあった。
穏やかな笑みを浮かべながら、ルルーシュの耳元で何かを囁いている。
その横ではセシルがにこやかに笑っていた。
ルルーシュがロイドの言葉に頷き返すと、困ったような笑みを浮かべているスザクと必死の形相をしたジェレミアの目が合った。

―――お、遅かった・・・。

ルルーシュの口端がゆっくりと引き上げられて、被っていた帽子をふわりと投げた。
それが何を意味するのかジェレミアにはわからなかったが、それでもなにかの企みの一環であることだけは理解できた。
投ぜられた帽子が床に着地すると同時に足元が揺らぐのを感じ、一瞬の浮遊感に捉われる。
あちらこちらから叫び声と悲鳴が聞こえて、足元の床が崩れると激しい衝撃が身体を襲った。





「よくもまぁ短時間でこんな大掛かりな仕掛けができたもんだね?」

呆れたようにスザクが言うとルルーシュは玉座から腰を上げた。

「これは俺が作ったんじゃない」
「では誰が?」
「・・・母さんだ」
「は?」
「暇つぶしに用意してあったんだが一度も使われることがなかったのを利用しただけだ」
「・・・・・・・・・・・」
「一定の重量を超えると床が抜け落ちる仕掛けになってるんだけどね、普段はロックしてあるから誰も気づかなかったんだよ。仕組みは単純なんだけど、なにぶん古いものだったから修復に手間がかかってさぁ」

「間に合うかどうかヒヤヒヤしたよ」と、ロイドは笑って言った。

「ところでスザク」
「な、なに?」
「お前わざとジェレミアに今日のことを話さなかっただろ?」
「だって・・・気の毒じゃないか・・・来て早々いきなり落とし穴だなんて・・・」
「ジェレミアの体重も計算に入れてあったんだぞ?」
「・・・別にジェレミア卿じゃなくても、いいんじゃないの?」
「ダメだね!俺の記念すべき悪逆の第一歩はあいつ抜きでは考えられん!」
「・・・悪逆、ねぇ・・・?」
―――これじゃぁスケールの大きい子供の悪戯だろう!?

広間を後にするルルーシュを見送りながら、スザクは溜息を吐いた。

「ロイド元伯爵!」
「は、はい?」
「貴方もこれに加担したんですから、後片付けはよろしくお願いしますよ?」
「・・・え?えぇ〜ッ!?これを僕一人でですか〜!?」
「当然です!さぁセシルさんあっちでお茶でもいかがですか?」
「・・・そうですね」
「・・・あ、スザクくん!?ねぇ。ちょっと!!」